日本酒。わが国固有の伝統民族酒。それは、日本人の主食である米を原料に、長いこの国の歴史の中で常に日本人に寄り添い続ける國酒です。


時代の変化の中で、それぞれの時代の醸造家のあくなき探求心によって常に進化してきた日本酒。これからも進化を遂げていくことに疑いの余地はありません。

私たちは、この日本酒の進化の担い手でありたいと思います。

しかし、その一方で私達が日本酒を造り続けてきた場所、奈良が深く関わる日本酒の歴史を知れば知るほど、その忘れ去られた古の技術によって醸された酒への興味が止みません。


日本清酒発祥の地、奈良。


古来より国家の中心を担った奈良の地で、お酒造りの技術はそれぞれ時代と共に変革し、幾重にも重なり高度化していきました。中でも室町時代の寺院醸造が、現代の日本酒醸造技術の礎を確立していったとものと考えられています。

奈良時代の都、平城京では造酒司(ぞうしゅし)と言われる国立の醸造所が存在し、儀式で用いられる酒、宮廷で消費される酒など様々な酒造りを担いました。また、奈良時代以降に建立された大寺院、興福寺、東大寺、正暦寺などでは室町時代になると寺院醸造の最盛期を迎えることとなりました。


この様にそれぞれの時代に奈良で醸された魅力溢れる美酒は、時の権力者、実力者を魅了し続けてきたに違いありません。

水端とは、物事の最初。出はじめ。はじまり、のこと

日本清酒発祥の地 奈良 で享保4年(1719年)より酒造りを営む油長酒造。 私たちが次の100年を見つめ、これから担うべき酒造りは何なのか。常に自問自答を繰り返します。 2021年。ここに油長酒造は新たなブランド 「水端(みづはな)」 によって現代の日本酒醸造技術の源流を辿ることといたしました。


「忘れ去られた古の奈良に伝わる技術を、当時の文献を頼りに、現代のセンスによって再現する」


このブランドメッセージをとおして、「水端」ではお客様が日本酒の歴史の奥深さに触れると共に、五臓六腑にしみ渡るような、奥行きのある味わいを楽しめる日本酒を目指します。 私たちは古典技術に触れ、それを再現することで日本酒のさらなる技術や魅力を発掘し、これを後世に伝える役割を担いたい。そして未だ見ぬこれからの日本酒の進化のかたちを模索します。

一三代 蔵主 山本長兵衛

「水端(みづはな)」専用酒蔵 享保蔵は、油長酒造の初代、山本長兵衛秀元が精油業から新たに醸造業の事業を創業した際に享保年間(1700年代初頭)に建造した酒蔵。


この蔵は100年近くお酒造りに使用されていませんでしたが、2021年、2階部分をリノベーションし、甕仕込み専用の独立した酒蔵へ生まれ変わりました。


これにより、水端の酒造りすべての工程を享保蔵のみで完結します。風の森の醸造とは完全に切り離した独立した酒蔵で水端を醸します。

大甕(かめ)仕込み

大甕(かめ)仕込み

「水端」では、大甕でお酒を仕込みます。


室町時代15〜16世紀、奈良の寺院醸造が現代の日本酒醸造技術の礎を確立していったとものと考えられます。興福寺の多聞院日記には、醪を搾り、火入れを行い、白米を用いた酒造りを行なっていたことが描かれています。その頃はまだ1回あたりの仕込みの量も少なく、木桶でお酒造りを行なっておらず、大甕で仕込まれていました。16世紀の末ごろになってお酒を木桶で仕込んでいた記述が多聞院日記に初めて現れます。


それ故、水端では古の技術を再現する為、全てを大甕で仕込むことにいたしました。

古典を読み解く 醸造

「水端」では、古典の中にある酒造りの記載から、当時の製造方法を読み解いてゆきます。


  • 720年頃(奈良時代)平城京出土の木簡

    国立の醸造所、造酒司付近や、 長屋王屋敷跡から出土した木簡 いくつもの酒造りに関する記述が見られる。
  • 701年〜927年(平安時代)延喜式

    701年に定められた大宝律令の 施工細則として編纂された。 927年に完成したと言われている。 国立の醸造所、造酒司の酒造りに ついても記載されている。
  • 1355年(室町時代初期)御酒之日記

    1355年もしくは1489年に編纂されたと言われている醸造書。 御酒、天野酒、菩提泉などの製造方法が記載されている。
  • 1478年(室町時代中期以降)多聞院日記

    奈良興福寺の多聞院の僧、英俊らの 1478年から1618年に渡る日記で寺院醸造の 詳しい記述が正確な日付と共に散見され
  • 2021年〜そして、現在の酒造りへ